【感想】『はじめての大拙』を読んで。禅の思想・教えが心にしみる本。

読書

8my(@8my__)です

最近、『禅』に興味がでてきたので本を一冊読んでみました。
『はじめての⼤拙―鈴⽊⼤拙 ⾃然のままに⽣きていく⼀〇⼋の言葉』(著:鈴木大拙、編:大熊 玄)です。

今回の記事では本書をざっくりと紹介します。

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本書の概要

著者の鈴木大拙は、昭和初期の仏教研究の第一人者。
著書の多くが英文でも書かれており、海外に向けても『禅』の思想を精力的に紹介したそうです。

仏教研究者なので、著書の多くには難しい哲学用語や仏教用語が出てくるようですが、本書では、そうした用語をできるだけ避けて、大拙が本当に伝えたいと思っていたであろうことが凝縮してあります。

禅初心者の8myにとっては「何が言いたいんだろう??」と理解できない部分もありましたが、多くは読みやすく編集されおり、大拙と対話をしているような感覚で読むことができました。

大拙の語る禅は日常生活のなかに生きていると編者は言っています。
難しく考えずに、響いた言葉だけを日常生活に活かしてみるのもいいかもしれませんね。

本の目次

・はじめに
・第一章『自然のままに、自由に生きる』
・第二章『機械にとらわれず、美と愛に生きる』
・第三章『知性・言葉とともに、無心に生きる』
・第四章『苦しみや矛盾の中を生きていく』
・第五章『禅の悟りは、いわゆる「宗教」ではない』
・おわりに

読書感想

この本では章ごとに約20の鈴木大拙の言葉が載っています。

今回の記事では、8myが読んでいて特に印象に残った言葉を章ごとに1つピックアップしてみました。

それでは、一章ごとに見ていきましょう!

他のものと比べない

第一章では他のものと比べないことが印象に残りました。

『自然のままに、自由に生きる』からの引用です。

自由の本質とは何か。
これをきわめて卑近な例でいえば、松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。
松は松として、竹は竹として、山は山として、河は河として、その拘束のなきところを、自分が主人となって働くのである。

必然とか必至とか、そうなければならぬというが、他から見ての話で、その物自体には当てはまらぬのである。

自由の本質は比べないこと

そもそも人は個人で完結しているから、それぞれの一生懸命で生きていればOKで、他人や常識などは気にする必要ないんですね。

あの人は美人で羨ましい
もっと資産があれば…
あの人みたいに仕事ができるようになりたい
みんなが持っているから自分も欲しい
常識的に考えて○○はしないといけない

あげればキリが無いですが、こういうことに執着するから「何かが足りない」「もっと欲しい」という余計な感情にかられるんでしょうね。
松を竹にするのは無理なのに…

暇ができれば、刺激で苦を窒息させる

第二章で印象に残ったのは現代人の暇の過ごし方

『機械にとらわれず、美と愛に生きる』からの引用です。

じつを言えば、われわれいわゆる現代人は閑暇ひまを失っている。もだえる心には真に生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激のために刺激を追って、内心の苦悶くもんを一時的に窒息させておこうとするにすぎない。

主要な問題は、生活はゆったりした教養的享受きょうじゅのためにあるのか、快楽と感覚的刺激を求めるためにあるのか、どちらだろうかという点である。

暇ができるとすぐにスマホをいじってネットサーフィンやゲームをしたり、SNSを見る。
最近はそんな人が多いですよね。

8myもそうです! (反省)

リラックスしたり、嫌なことから現実逃避するためにそうする。
でも、そんなことをしても何も解決しませんし、嫌な情報に触れて余計にストレスが貯まることもあります。
気をつけないといけませんね。

禅は言葉にできない

第三章では禅とは一体何か?考えてもダメだ!ということがよく分かりました。

『知性・言葉とともに、無心に生きる』からの引用です。

言葉は思想を反映するけれども、経験した感情そのものを伝えることはできない。
そこで、まだ禅の体験を持たぬ者に禅を理解させることは不可能である。

それはちょうど、まだ蜜を口にしたことのない者にその甘さを知らせることができないのと同じである。
このような人にとっては、「甘い」蜜は、永久にまったく感覚を伴わない概念にとどまるであろう。

普段の会話であれば、相手も蜜の甘さを知っているから「蜜みたいに甘い」と言ったら伝わるわけで、知らなかったら蜜の甘さを伝えるのは無理ですよね。

それと同じで、禅も体験していないものには伝えられないもの。
禅が何かを理解するには体験するしかないんですね。

人生に苦や矛盾はつきもの

第四章では、日常の悩みやイライラのとらえ方が印象に残りました。

『苦しみや矛盾の中を生きていく』からの引用です。

人間の世界と言ってもよし、人間の性質と言っても何といってもよいのですが、どうも矛盾がある。
この衝突というか、矛盾というか、こういうことがすなわち人生なんだ。

人生とか人間性というものが矛盾しているというよりも、矛盾そのことが人間性であるのだ、矛盾そのことがこの世の姿であると、こういうことを考えておくというと、かえって気安いようなことは無いか知らんと思うのでございます。

思っていたことと違う!上手くいかない!言っていることが違う!ということは生活する中で山ほどあるので、いちいち悩んだり、イライラしてもしょうがないですね。

そういうこと(苦や矛盾)がデフォルトだと気づいてしまえば、いちいち矛盾に気を取られず、焦らずに自分のペースで努力していこうと考えられる気がします。

禅には守るべき戒律も経典も何もない

第五章では禅が宗教と全然違うことがよく分かりました。

『禅の悟りは、いわゆる「宗教」ではない』からの引用です。
以下の引用はかなり衝撃的でした。

禅は寒夜かんや温まるために寺中じちゅうの仏像をことごとく焼きうる。
しかし、禅は嵐にさかれ泥にまみれた、つまらぬ草の葉を崇めることを決して忘れぬ。
あるがままなる野の花を三千世界の仏陀ふっだささげることをけっして怠らぬ。
禅は軽視することを知るがゆえにまた敬うことを知る。

他のいかなるものとも同じく、禅に必要なのは心の誠実であり、その単なる概念化や物理的模倣ではない。

温まるために寺の仏像を焼くってなんだか凄いですね。
無宗教の自分でもできそうにないです 笑

でも、禅ではやる。
そして仏像は焼くにもかかわらず、宗教的なものを崇めない禅では野に咲く花は崇める。

禅は宗教的な物や戒律が無く、縛られていないからでしょう。

さいごに

この本では、読みやすさを考慮して200文字という短かさで理解しやすい文章が集められているので、気負うことなく読むことができ、禅初心者の8myでも読んでいると、スッと気持ちが軽くなる言葉が多く載っていました。
(もちろん、ちょっと難しいな…って言葉もありましたが)

編者は『人生に苦はつきもので、大拙の語る禅は日常生活のなかに生きているもの』だと記しています。
響いた言葉を少しずつ生活に落とし込んでいければ、自分でも『禅』がどういうものか体験できるかもしれませんね。

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